尾瀬国立公園
尾瀬は活火山である燧ケ岳の噴火活動によってできた湿原であり、ミズバショウやミズゴケなど湿原特有の貴重な植物群落が見られる。ほぼ全域が国立公園特別保護地域および特別天然記念物に指定されており、歩道以外への立ち入りが厳しく制限され、ごみ持ち帰り運動の発祥地であるなど、日本の自然・環境保護運動の象徴でもある。
一般的に尾瀬とは、『尾瀬ヶ原』のほか、『尾瀬沼』や『至仏山』、『燧ヶ岳』等が含まれる国立公園特別保護地域を指すが、広義には、国道401号片品川沿いの登山口駐車場を『尾瀬駐車場』と呼んだり、その近隣のスキー場を『スノーパーク尾瀬戸倉』と呼ぶなど、登山口周辺地域を尾瀬と呼ぶこともあり、『大清水』や『御池』なども尾瀬と云うことがある。
武尊高原
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)像片品村南西部に、霊峰と呼ばれる武尊山があります。その山は、前武尊、剣が峰、奥武尊の三峰がそびえています。
前武尊山頂と奥武尊山頂の2箇所に、日本武尊銅像が建てられており、前武尊の像は花咲、奥武尊の像は川場の像で、それぞれその地区を向き、見守っていると言われています。この前武尊の銅像は、嘉永2年(1625年)下野国佐野(栃木県佐野市)で鐵像されたものであると言われており、この原図は花咲の法稱寺に保管されています。
武尊山は、山岳宗教によって山伏修験道の神山としてあがめられてきた山です。この山で開かれたのは、花咲に華蔵坊という山伏が、修験道場を建て、これが現在の法稱寺の基となったと伝えられいます。
文明2年(1470年)はじめて山伏修行の寺が建てられ、途中で寺名は変わりましたが、幕末の頃再びもとの寺名になりました。しかし山号は武尊山と称し、花咲の武尊神社の別当でもありました。
江戸時代になり一時修験道はさびれましたが、寛政2年(1790年)再び復活し、武尊山は主要な修行の場となりました。武尊山頂の日本武尊像は、その昔の伝説に基き、この山を開いた普寛行者に関した普寛講の人々の寄進により作られたもので、この像を片品村須賀川の卯八郎と言う人が一人で像を背負い、前武尊山頂まで上げたと言われています。
また、4~5年くらい前に像が壊れたため、花咲の人々が修復し再び山頂まで持ち上げ、現在にいたっております。
著者:慶信館 星野武士氏
丸沼・白根
白根山の溶岩によりせき止められた湖。直径が600メートルの楕円形の小湖でしたが、昭和5年、下流の大尻池との間に東京電力のダムが造られ、水位が28メートル上昇したので、南北1.2キロ、東西500メートル、面積0.45Fと広くなりました。満水時の標高は、1,428メートル、水深50メートルとなります。
湖畔は白樺やブナ林の原生林で覆われ、静寂に包まれた湖面は神秘的です。北岸には単純泉の丸沼温泉があり、胃腸病や婦人病に効きます。
幸田露伴の「対髑髏」はここが題材です。一軒宿の環湖荘は昭和8年の開業で、4月下旬から11月中旬まで営業しており、避暑地として人気が高く、新緑や紅葉もとてもきれいです。また、ニジマスやブラウンマスが放流され、ルアーやフライフィッシングのメッカにもなっています。12月下旬から4月中旬までは凍結します。